オタクの備忘録

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Tokyo 7th シスターズ -僕らは青空になる- 映画感想

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ナナシスの映画、「Tokyo 7th シスターズ -僕らは青空になる-」観てきました。観たと言っても最初に観たのが公開初日の2月26日、そのあと二度目は約1ヶ月後の3月末に行ったので4月現在だいぶ時間が経ってるのですが。公開時期がズレた地域とかいわゆるネタバレに配慮したりで感想らしい感想を書けていなかったのですが、この映画の感想だけはどうしても書き残しておきたいと思いじわじわ書き進めておりました。先週10日にはU-NEXTでの配信も始まったというタイミングでようやく書き上がったので今ここに投下します。よろしければお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

1. 全体的な話

とてもナナシスらしい良い映画だった」というのが第一の感想です。77分という限りある尺の中で登場人物たちの個性や生き方が充分に発揮され、立ちはだかる困難のもとで彼女たちは何をしたいと思うのか、アイドルとはどういう存在であるかというナナシスの根幹に近いテーマがしっかり表現されていたように思います。自分はゲーム本編のメインエピソードをひと通り辿ってきてリアルのライブも3rd幕張以降をほぼ全通してきたという経歴で支配人の端くれを自称していますが、どういう程度であれナナシスの物語が好きな人や777☆Sの楽曲が好きな人なら概ね満足できる内容なのではと思います。ご新規さんに対しても「これがナナシスの物語です」と自信を持って紹介できるような内容の映画なので、概要を全く知らない人に勧めるのは難しいところですが、ある程度の興味を持ってゲームのエピソード序盤に触れた人とかヒトの生き様を描くタイプのアイドル作品が好きな人なら観る価値がある作品だと思いました。

 

2. ナナシスらしいところ

冒頭のカウントアップ表示から「2032.07.07」でセブンスのライブへと繋がるところが完全にリアルのナナシスライブそのもので興奮しました。OP曲がStar☆Glitterというのも100点満点でナナシス。本編中に占めるライブシーンはそれほど大きな比重ではないものの丁寧に描かれている印象で(後述)、そのほかの曲も抜群のタイミングでBGMとして流してくるのが楽曲の強さを売りのひとつとするナナシスらしいところでした。「誰かの背中を押すために」や「アイドルはアイドルじゃなくてもいい」などのキーワードもしっかり回収されていて、ゲームやライブといった今までのナナシスと同じテーマをそれらと違う角度から見つめ直したような気持ちになりました。契約だの買収だの妙に現実じみた障害が立ちはだかる辺りはエピソード3.0や4.0以降を意識したような感じがして、世間で比較的多く見られる(最近こそそうでない作品も少なくないが)明るく陽気な方向に組まれた2次元アイドル作品とはひと味違ってやっぱり好きなところです。

 

3. アニメならではのポイント

ゲームではほぼ固定の背景として部分的に描かれていたナナスタの内部やTokyo-7thの未来感ある街並みなどが、空間的にとても綺麗に表現されていて作品ファンとして嬉しいところでした。そして登場人物、特に777☆Sの12人がいきいきと動くさまが見られてアニメ映像になることの強みをしっかり感じました。誰かがしゃべっていたり動いていたりする横で他のキャラがそれぞれどういう表情をしているのかが描かれているのもアニメならではかと。序盤の青空から始まって中盤の重い場面で雨、そこから覚悟を決めて引っ越すシーンでFUNBARE☆RUNNERとともによく晴れた暑い日になるという気候の移り変わり表現も定番ながらしっかり押さえられてて好きです。最後のライブが終わった後で季節が夏に移った(セミの鳴き声とアイスを食うモモカ等々で表現されてた)のもナナシスらしくて好きなところでした。

 

4. ライブシーンについて

KILL☆ER☆TUNE☆R僕らは青空になるの2曲、まず振り付けがどちらもリアルのライブと全く同じもので嬉しかったです。通常上映の映画館で思わず振りコピしそうになりました。ヘッドセットではなく手持ちのマイクで歌っていたのもリアルと同じですね。序盤のライブではオルスタのハコに観客のペンライトもやや水色多め程度でばらばらだったのが、最後のライブではアリーナクラスの会場でスカイブルー1色に染まっていたという客席側の描き分けも細かいポイントで、最後はファンの大歓声もしっかり入っていたことに泣きました。こうしたリアリティを表現した上でアニメならではの星や光のエフェクト演出(西暦2034年の未来技術?)も入っていたのがさすが映画だと唸りました。最後にホールの天井が青空になったとこも好きです。

 

5. 資本と宣伝の力を考える

今回の鍵を握る人物として滑川ノリユキと八角コウゾウ、2人の大人が出てきました。分かりやすい悪役顔で登場してきた滑川は、大企業の資本の力を使ってスタジオの買収とライブの妨害を仕掛けてきました。一方の優しそうなおっちゃん八角は777☆Sの頑張る姿に感銘を受け、私財を投げうって支援広告を出してくれます。やってる事は逆だが資本の力を振りかざすという意味では両者の行動は同じに見えました。

どんなに内容の良いライブをやってもファンや観客はなかなか増えない、巨大資本を背景にした宣伝力が大部分を占めるというのは現実のナナシスコンテンツにも他作品にも例外なくある問題でしょうし、これを再び突き付けられた気分になりました。そういえばリアルの方でこの映画の宣伝に電車広告やアドトラックが出されていた件、これもおそらく相当な費用がかかっているはずでそこにどういった意味が込められているのか考察してみたくなるところです。

 

6. 最後のライブに集まった観客

777☆Sをライブを観たファンによってHAKKAKUスタジオ閉鎖のお知らせが拡散されたという描写でしたが、閉鎖されてしまうから集まったという温かさと最後じゃなかったら来なかった(それまでは見向きもしなかった)という冷たさは表裏一体に思います。これまでのナナシスの物語上でも観客(Tokyo-7thの住民)はあくまでも一般消費者であって熱しやすく冷めやすい、大きなメディアの情報に流されやすい大衆という描かれ方をしてきたように思いますし、このナナシス特有の冷たさは自分の好きなところでもあり苦手なところでもあります。そういう意味で逆にオタクとしての共感が深いのは熱くドルオタやってた過去描写のある滑川の方ですね。777☆Sのライブを観て過去の現場のことを思い出しちゃったり、推しの解散(活動休止?)で泣きながら頭抱えてたところとかかなり・・・

 

7. 物語の終わりに想うこと

ライブは満員になったが結局スタジオは潰され更地になってしまった、この結果だけ見ればBAD ENDという捉え方もあるかと思います。ただ八角や滑川の感情を動かしたとか、ライブに来た観客だとかの「誰かの背中を押した」という結果と彼女たちの行動に意味が残りました。これこそがナナシスという物語の存在意義そのものなんじゃないかと思います。物事の終わりは何かを失うだけじゃなく確かに残るものもあるといったところでしょうか。この先のナナシスがどう展開されるか分からないので変なことは言えませんが(何かある度にすぐサ終とかオワコンとか言い出す連中が大嫌いなので)、エピソード6.0までが完結して今回の映画も終わってしまったこのコンテンツにも遅かれ早かれいつか区切りの付くときが来るかと思います。それを作中のスタジオ閉鎖と結び付けて考えるのもおかしな話ですが、終わりを迎える時にナナシスが何を残してくれるのか、自分にとってのナナシスはどういう存在なのかと考えてみるきっかけになったと思います。

 

Tokyo 7th シスターズ -僕らは青空になる-」は、熱い想いが詰まっていて感情を強く揺さぶられた素晴らしいアニメ映画でした。